時間は深夜2時半。
私はスマホを右手にこの文章を書いている。
左肩には風邪っぴきで調子が悪くそれはそれは不機嫌な体重10kgの息子くんが担がれている。
本人は寝ているのか起きているのか分からないけれど、
布団に置いたら途端にガラガラ声で泣き出すし、
寝息はまだ聞こえてこないので寝ていないだろう。
久しぶりの夜泣きである。
子供の夜のグズりをなぐさめるのは、親なら誰でもよくあることというか、
固い言い方をするなら責務、みたいなものだ。
静まり返った暗い部屋で、重たい我が子を抱えたまま突っ立って体を左右に揺らしている時間というのは、まあ決して楽しい時間ではない。
どちらかと言えば辛いというか、若干の虚しさみたいな感覚を覚える。
窓の外には終電を終えた無人の駅のホームがライトに照らされていて、
街が寝静まっていることを無言で語っている。
私の頭には、自分と同い年くらいで結婚した友達夫婦や、
職場の結婚している先輩達の顔が蘇ってくる。
子供がいる家庭ならば、みんな同じように、こんな時間を過ごすことがあるだろう。
その時はいったい、何を考えているのだろう?
「育児なんてそんなもんでしょ」
本当に面倒くさい、という顔で呟く先輩社員の顔が蘇る。
うん、わからなくはない。
ただぐずるだけの子供はわがままだし、だっこすれば重いし、睡眠不足にもなるし。
親だから我慢して仕方なくやる、という諦めにも似たような感覚を覚えるのも事実だ。
けれど、辛いことをただ辛いと決めつけて諦めてしまうのは、
あまり好きな考え方ではない。
肉体的には確かに辛いけれど、見方を少し変えてみれば、
こう考えることもできるような気がする。
子供の不満や辛さを、抱っこするだけで和らげることができるのも、今だけだと。
この時間は、実はすごく貴重な、大切な時間なのだと。
そう考えると今、こうやって重たい息子くんを抱っこしている時間は、
辛い時間じゃなくなるような気がする。
自分の心が豊かになったような気がして、少し楽になる。
辛さの中に豊かさを見出す。
それはモノの見方を、考え方を、
少し変えるだけで、得られるような気がする。
「育児に終わりはないからねえ」
そう言いつつも穏やかな笑顔だった同級生の女の子の顔が蘇る。
うん、きっと彼女は、豊かさを見出していた。
どうせ過ごすのであれば、マイナスに捉えてしまいがちな考えであっても、
見方を変えて少しでもプラスに転換して生きたいと、そう思う。
だって、そのほうが豊かで、きっと素敵に過ごせるじゃないか。
ベランダ越しに広がる街の夜景を眺めていたら、そんな考えが頭に浮かんだ。
なんだか意図せず振り返る時間を貰ったなあ。
お、ようやく寝息が聞こえてきた。
よしよし、その調子だ。
時間は3時。
10kgの重りを持ち上げ続ける30分のトレーニングタイム終了だ。
さぁ、息子くんをそっと降ろして寝よう。
どうかゆっくりと眠ってくれよ……。
おやすみ。。