社会人1年目の秋、大学時代の友人が自ら天国へ行ってしまった。
一流……とは言えずとも中堅どころの大学を卒業して一部上場の企業に内定した”彼”は、 どういうわけか、たった半年経った後、自分で死を選んだ。


彼と特に親しかった友達から電話がかかってきて、
「あいつがさ……死んだ」と伝えられた。
そんな現実離れしたドラマみたいなセリフを聞いて、頭の中がフワフワとした。
嘘だろ?

それに、死んだ、という事実だけしか言われなかったので、思わず理由を聞いてしまった。
「病気?」と聞いても「違う」と言われ、
「事故?」と聞いても「違う」と言われ、
消去法でたどり着いた答えに私は「そっか…」と答えることしかできなかった。


それからほどなくして、彼との”お別れ会”が催された。
大学時代の友人や、彼が所属していたゼミの教授も来ていて、さながら同窓会のような様相であった。違うのは全員喪服を着ていることだ。
3月にはスーツを着て卒業した友人たちと、たった半年経った後で、慣れない喪服を着て集まっているのが不思議な光景だった。

セレモニーが始まると柔らかい音楽が聞こえてきて
「天国でもどうか安らかに過ごしてくださいね」なんて定型のメッセージが流れ始めた。

つい半年前まで一緒にいた彼が亡くなったから、今ここでお別れしろ、と言われているのだ。

自分は、よく意味が分からなかった。
別れの感情よりも、なぜ?という気持ちの方が強かった。

僕達が一緒に過ごした時間は何だったのだろう?
卒業前、それぞれの就職先を話して「俺はエンジニア」「俺は営業」「俺は経理」「みんなで集まれば会社でも起こせるじゃん」と話したあの時間は何だったのだろう。
卒業旅行で皆で行った箱根旅行は、何だったのだろう。


なぜ、死んでしまったのだろう。
当時も分からなかったし、今も分からない。

とりわけそう思うのは、ご家族の方達が全員優しそうな人達だったからだ。

暖かい環境で育ったのだろうなと思ったし、何よりこうやって別れの会を催してくれる家庭なのだ。
自分が死んだら、その家族がどう思うか、考えなかったのだろうか?

今、彼と会えたとしてどんな言葉がかけられるだろうか。
「悩むことは仕方ないけれど、苦しまなくていいんだよ」
多分私は、そう言うと思う。


彼が選んだ選択肢の是非については、わからない。
彼が当時、感じていた痛みまではわからないからだ。
亡くなってしまった個人の価値観と、私の考えを比べて是非を問うても意味がないと思うし、
比べる必要もないと思う。

確かなのは、残された側に残るのは、
ただ残念で悲しいという気持ちだけだ。


彼の死からもうすぐ10年。
毎年秋になると思い出す。

その度に私は、自分は自分の命を全うしたいと、そう思う。