焦燥感に駆られている。
ここ最近の話ではなくて、10代後半の頃からずっと感じ続けている。


自分は何者にもなっていないという焦りの気持ちと、
この場所に立ち止まっていてはいけないという焦りの気持ち。
言葉で表すのであれば、まさしくそれは焦燥感だ。


まあ焦燥感と言っても、今の自分のステータスを確認してみれば、仕事は順調だし、結婚して子供も生まれ、つつがなく暮らせていると思う。
けど、いずれも全て「途中」の段階。家庭は日々試行錯誤しながら積み重ねている最中だし、仕事だっていくつかのプロジェクトが平行して進んでいる真っ只中だ。
マイルストーンのように一時評価は可能かもしれないけれど、
登っている山を登頂したわけではない。せいぜい5合目まで登ったかどうかだ。
拳を突き上げるには、景色はまだ中途半端すぎる。


私はまだ、何者にもなっていない。

31歳になった今も、絶賛、そう感じ続けている。



そんな焦燥感に追われ続けているのは、きっと昔こじらせた病気が原因だ。

10代の頃、戦い続けていた自然気胸。
いや、戦ったなんて言葉を使うにはかっこよすぎる。

あの時の自分は完膚なきまでに気胸に打ちのめされた。
どれだけ治療しても出来の悪い風船みたいにすぐに空気が抜けてしまう自分の体。
未来とか希望なんて明るい言葉はまるで心になくて、暗くて重たい負の感情が大部分を占めていた。
不幸を嘆くことも、涙を流すことも、怒る気力すら奪われ、心は死んでいたも同然だった。
「藁をもすがる」なんて言葉があるけれど、3度目の入院の時「気胸が完治する宗教があったら絶対入信してるね」と母と話したことを覚えている。信じるだけで治るのなら、釈迦でも仏陀でもキリストでもマホメットでもアッラーでも何でも入信してやるというような、もはや自棄に近い気持ちだった。

私は気胸と戦い、心は負けた。
それでも最後に私が勝てたのは、現代医学という強力なサポートがあったお陰だ。戦うことを諦め、リングに座り込んだ私に代わって気胸をボコボコにしてくれたのは、二子玉川にある玉川病院の先生方だ。
私はただジッと耐え忍んでいただけで、気付いたときには試合は終わっていた。
レフリーは生気を失った私を無理やり立たせて右手を掴み、天に掲げた。

ボコボコにされてリングに突っ伏した気胸。
けれど瀕死になってもなお、ヤツは往生際が悪かった。
最後の最後に「お前が寿命を短く感じる呪いをかけてやったぜ」と捨て台詞を吐いて、去っていった。

それはまさに呪いといえるようなしろもので、病気が完治した後も、体には定期的に不調が生じるようになった。


そんなこんなで10代は過ぎてゆき、20代になったものの、
いつも体の心配をして過ごしていた。

体にメスを入れたのだから、手術前の体と全く同じに戻れるわけがない。
3回の全身麻酔、チタン針の内臓された自動縫合機でバツバツに縫われた肺、サイボーグと化した自分の体。
確かに「完治」はした。
けれど「健康」とは程遠く、定期的に訪れる胸の違和感、しびれ、呼吸のし辛さ、鈍痛、息切れ、横たわった時のコポコポ音……。重い体を引きずって病院にかかっても肺が膨らんでいれば「異常なし」と言われるだけなので、定期的にある胸の苦しさやあれこれは、異常がないものだと思い込んで無視することにした。

そうやって割り切ったけれど、健康だった時の体とは明らかに違うのだから、頭の片隅ではやっぱり自分は長生きしないんじゃないか、と疑ってしまっていた。
正直、今の自分でも、この体がいつまで持つのかわからない。


多分、自分の命は短い。
この体で長生きできるとは、到底思えない。

だから、だ。
残された命が短いのならば、1日1日は大事にしないといけない。


私は輝きたい。

会いたい人には会って話をしたいし、素敵な物を見たら素敵だと素直に言いたい。
悲しい時には隠さずに涙を流して、感謝の気持ちがあれば心からのありがとうを伝える。昨日よりも今日、今日よりも明日、少しでも多くの一歩を踏み出して輝いて生きるのだ。

どこまで行けるかなんてわからないし、年月が経ってみたら案外長生きしてた、
なんて結果になるかもしれないけど、それは結果論だ。
今の自分にできることは、腐らず焦らず、日々を無駄にせず大切に積み重ねて、生きていくことだ。

過去より未来より、大事なのは「今」。
起きてしまった過去の不幸を嘆いたり、希望が持てない未来を嘆いたり、そんな暇があるなら、今を大切に生きたほうがいい。
少し前までは漠然と感じていたその気持ちが、最近は特に強くなっている。
だから私は、少しでも高い山に登るために、今日という1日を頑張らなければいけないのだ。そうやって自分が輝くことが、私と関わってくれる人、関わってくれた人への、私からの感謝の印になるからだ。

30代、そうやって考え方が変わっていったら、
自分が見ている日常が、少しづつ輝いて見えるような気がしてきた。

気胸はとんでもなく意地が悪くて嫌な奴だったけれど、
焦燥感と合わせて日常が少しだけ輝いて見える置き土産も、
最後に残していったのかもしれない。

Concrete roads