自分は父親できていない、という話。
6月半ばの水曜日、保育園から息子くんの体調が悪いので引き取りに来てくれと連絡が。
お迎えに行くとどうやら咳が止まらない様子。
それでもまぁ元気そうだったのでいつも通りのルーティンでお昼寝をさせておやつを食べさせ、夕飯を食べさせてから寝る時間となった。
が、咳は昼間よりも悪化している様子であった。
寝ながら猛烈な咳を繰り返す息子くん。
ゲッホ!ゲッホ!ガッホ!
すごい咳だ。辛そうだ。
このご時世、電車の中でこの咳をしていたら確実に何人かから睨まれるような咳っぷりだ。
女性専用車両に間違えて乗った時のような猛烈なプレッシャーをかけられること間違いなしだ。間違えて乗ったことないけれど。
やがて息子くんは横になっているのが辛くなったのかムクリと起床し座った姿勢で咳をしだした。
しかし咳は止まらない。
ガッホ!ゴッホ!
道端に痰を吐き捨てる時のような咳に変わっている。
これは……もはやおじさんだ。
ちっちゃいおじさんだ。
父は背中を擦る。ちっちゃいおじさんの背中を擦る。
大丈夫?声をかける。
いやこれほどまでの咳だし大丈夫なわけないよな。
そんなことを心配半分、面白半分で考えながら背中を擦っていると、ついにこみ上げるモノを我慢しきれなくなったのか、ゴゥウロオォ…という怪物のような唸り声を上げて動作を停止した。
ちっちゃいおじさんはちっちゃい怪獣に進化した。
いや、そんなことはどうでもいい。
足元には何やら白くてモケモケしたメレンゲ色の物体がユーラシア大陸みたいな形をして鎮座していた。
なんか立体感あるねぇ、これ。
それはまぎれもなく夕飯に食べた納豆ご飯あった。
ちっちゃいおじさん、やってくれたな。
慌ててティッシュと除菌シートを持ってきてシーツを拭き上げる。見た目は綺麗になったが…匂いはどうなんだろう?嗅ぎたくないし嗅ぐ必要もないから止めておこう。明日は洗濯コースだな……。
寝ぼけた状態で事情が分からなかったのか、混乱して泣き出したちっちゃいお……息子くんに声をかけてなだめる。うん、大丈夫大丈夫。
(いや何が大丈夫なんだろうか…布団は大丈夫じゃないんだなぁ)
ていうか、今日はこの布団で寝るの?
誰が?いやいや僕だよ僕。
シーツを変えるという選択肢はありえない。これは息子くんのお気に入りなのである。アイドルオタクに推しメンを変えろと言うくらい、無意味な提案に過ぎない。
そんなことを考えているとちっちゃい怪獣は2発目の納豆ライスを召喚した。
ンノォ!やめろおォ!!片付けたばっかぁ!
父の心の叫びも虚しくシーツの上には2つ目のもけもけメレンゲが鎮座していた。
今度はオーストラリア大陸みたいな形だ。
君は世界地図でも作り上げる気かい?
あながち間違っていなかったのか、息子くんはこのあと更に2発の納豆ライスをぶちまけてくれた。
あと2つで世界地図できたね。惜しかったね。
いや、むしろ良かったか。
出されては片付けてなだめ、出されては片付けてなだめ……。
1時間に渡る死闘の末、ちっちゃい怪獣はちっちゃいおじさんへと退化していた。
しろたんの枕に頭をもたげ、眠っているちっちゃいおじさん
ねえ君さあ、その枕は僕の枕なんだけど、返してくれるかい?
(中学2年の時に八王子の東急スクエアで家族お揃いで買ったしろたんの枕を未だに愛用している31歳男性というのも中々キツイものがある。独身だったら結構やばい奴。)
時間は0時、もう自分も寝なくては。
父は布団をめくり、そっと体を忍ばせる。
色々と湿った布団が体に染みる。いたたまれない。
ゲッホ!ガッホ!
ちっちゃいおじさんの咳は止まらない。
頼むよぉ……。
咳音が四畳半に響きわたる中、父は神に祈る。
神様お願いです、ひとまず今夜はもう何も起こらないでください。
これ以上は勘弁してください。そう、特にこれ以上の寝ゲロだけは。
そうやって息子くんの体調を心配する前に自分自身の都合を優先している自分に気付く。
「だって片付けが…」だってじゃないだろ。
「でも大変じゃん…」でもじゃない。
そんな押し問答を頭の中で一人繰り広げる。
お前は父親だろ?
いやいや、世の中のお父さん達はイライラしないわけ?
夜中に納豆ライスゲロパッパされたお布団で寝てても愛を持って子供に接してあげられるわけ?
この夜、残念ながら自分は無理であった。
やっぱりイライラしてしまったよ。
「たまちゃん、あたしゃ無理だったよ」
こうやってまる子のモノマネを頭の中で再生して笑いに変えることしかできないんだ。
愛に溢れる父でありたかった。
納豆ライスをゲロパッパされたお布団で眠る時でも、子供に愛を持って接してあげられる父親でありたかった。
もういい、忘れよう。
あなた疲れてるのよ。
無の境地。お前は棒だ。木の棒だ。
さぁ、眠れ。
数日後、この咳の影響か父は高熱が出て1週間ほど寝込むことになることを、
この時の自分は知る由もないのであった(CV:キートン山田)