ここ最近物を減らす、という行為がようやくひと段落した気がするので、
まとめてみる。
「できるだけ物を減らそう」
という意識が芽生えたのは大学2年くらいの時だったから、
だいたい10年くらいになる。
人生における6回目の引っ越しでクローゼットが無くなったことにより、物を減らす必要に迫られたというのが、
断捨離を始めたきっかけであった。
断捨離は始めてみると、最初のうちはかなり順調に進む。
それは最初のころは物質的な量が多いので、捨てれば捨てるほど目に見えて効果があるからだ。
いるもの、いらないものに分けて、いらないものは捨てる。
時々「いらないけど捨てられないもの」に遭遇することもあるが、
そういう特殊なものは写真に収めると捨てられることが多い。
それから本。
こいつはなかなか厄介で写真に撮ったからといって捨てられるものでもない。
私の場合は学生時代で時間もあったということもあって、裁断機とScansnapをレンタルして丸4日間かけて電子化をした。
裁断してはスキャン
スキャンしては裁断
時々Scansnapのガラス面を掃除
そんなことを朝から晩まで繰り返して、当時持っていた漫画本から実用書まで、ほぼ全てをスキャンした。
そうやって目に見える物の断捨離を進めて5年くらい経つと、
無駄なものが極力少なくなって、一応は衣装ケースとか段ボールに収められているような状態になる。
でもまだまだ物自体は多くて、どこに何があるか忘れたり探したりすることも時々ある。
そしてそこからの5年というのは、
■道具の精査
・同じもの(ケーブルとか)があったら片方だけ残す
・予備用とか考えないで捨てる
■電源系の規格の統一
・手持ちの電子機器をType-Cコネクタで統一
■書類の電子化
・保険の契約書類とか確定申告で使った領収書を電子化
といった作業を地味に進めていった。
このレベルになると断捨離当初にあった「目に見えて物が減る快感」はなくなっていき、
ひたすら地道な作業になる。
けれど、これを習慣にしない限り結局はまた物が溢れてしまうようになると思う。
だからこそ物を増やさないよう、
ルールを作って習慣として処理するようにしている。
大きく2つ。
・物は買った分だけ捨てる
・紙類は即スキャン
買った分だけ捨てる、というのは断捨離をするなら当たり前に身に着けるべき習慣で、
今の時点から物を増やさないためには必須の習慣だ。
つまりはダイエットと一緒。
瘦せるためには摂取カロリーよりも消費カロリーが多ければ太らないのだ。
書類のスキャンに関しても同じである。
送られてきたハガキや書類はクリアファイルに入れたりするとそれで満足してしまうので、
机の上に置いておく。
そして遅くとも数日以内にスキャンしてシュレッダーにかける。
そんなこんなで足掛け10年かけて
①いるもの、いらないものを精査
②いるものの中から本当に必要なものを精査
③物の処理の習慣化・ルール化
を進めていって、現時点ではこんな感じになった。
もちろんここに写っているもの以外にも、礼服とか予備の肌着とかを別途収めた衣装ケースがあったりする。
でも滅多に使わないものだし、いざとなれば無くなっても構わないようなものだ。
そして、こうやって物を減らしていて気付いたことがある。
それは、
「物を減らすというのはあくまで手段に過ぎない」
ということだ。
断捨離の本質は、物が減ることで意思決定の回数が減り、
日常生活の中で本当に考えるべきことに注力できるようになる、というところにある。
これが断捨離による本当の目的、最終到達点であると思う。
物が多いと意思決定の回数が増える。
何を着ようとか、
いつ片づけをしようとか、
必要な物が見つからないとか、
そういう考えとか悩みとかだ。
何かを悩んで判断するというのは地味にエネルギーを使う。 でも物が少なければ、そもそも考える必要性自体がなければ疲れずに済む。
だから物の多い・少ないといった目に見える物質的な量というのはあくまで目安に過ぎなくて、 大切なのはその物量で日々の生活に支障が出ていないか・意思決定が滞りなくスムーズにできているか、 という点にあると思う。
ちなみに断捨離については家族に押し付けたことはなく、特別やってほしいとも思っていない。
ルールがあるとすれば「管理しきれない物は持たない」というおおざっぱな決まりくらいだ。
断捨離はあくまで自分自身との戦いなのだ。
というか強制されても嫌だよね。
もちろん一緒に暮らすにあたり、無駄に収集癖があって溜め込むこと自体が快感になっているような人だと困ってしまうけれど。