今や大盛りの代名詞となったラーメン二郎
各地に支店があるわけだが、そんな中でも、
知る人ぞ知る伝説の支店がある。

ラーメン生郎

タイプミスではなく正式名称が「生郎」である。

元々は二郎の初代支店、
そのオヤジさんと創業者の総師との間で”トラブル”があり、破門扱いに。
そののち成蹊大学の学生がいたずらをして「ラーメン二郎」の看板を
「ラーメン三郎」
「ラブメン生郎」
等々色々と書き換えたのち、最終的にオヤジさんは何を考えたのか
「ラーメン生郎」として営業することにし、
2015年に閉店するまで「ラーメン生郎」として営業されていた。

ちなみに2010年代の吉祥寺には生郎(の店名)をインスパイヤしたラーメンを提供しているお店(音麺酒家 楽々のラブメン)があったりして、信者以外の人達には何が何やら、みたいな状態であった。



初めて二郎を食すということ

二郎系ラーメンを初めて経験したお店は、その人にとって忘れられないお店となる。
食券を購入して握りしめ、行列に並び”コール”を頭の中でひたすらに復唱。
席につき「にんにく入れますか?」と聞かれたら、頭の中で反芻し続けたコールを緊張を押し殺して伝え、 提供された一杯をひたすらに食べて、苦しくなったお腹を抱えてお店を後にする。
二郎を食すこの一連の流れ、初体験する人間には余裕などない。

常に緊張との隣り合わせである。
二郎バージン、とでも言うべきか。

ともかく最初のお店、最初の一杯がその人の二郎の基準になる。

いわゆる「ブレ」という言葉で語られる一杯毎のクオリティの差、
スープの乳化具合だとか、味が薄めだ濃いめだとか、野菜の盛りがどうのとか、
もやしとキャベツの割合とかとかとか…、基準になるのが、その最初の一杯なのだ。



生郎との出会い

で、私にとっての初めての二郎は「ラーメン生郎」で、最初に訪れたのは2011年頃であった。
すでに破門されて直系二郎ではなくなっていたものの、
元は同じ二郎だったのだから、初めて食べたといっても間違いではないだろう。

生郎は1980年代から2015年まで、約30年に渡って営業していて、
その間、盛り具合や麺の太さが変わったり、前述の遠り看板を落書きされたりと、
紆余曲折を経て、晩年を迎えていったようだ。
2010年代となると最盛期を優に超え、その外観はもはやラーメン屋の体を成していなかった。

見よ!これが在りし日の生郎の姿である。

Concrete roads
2012年6月撮影

そう、もはや看板すらないのだ。

ラーメン屋、というより、廃屋という表現がしっくりくるような店構え。
改修される気配など微塵も感じられない。
それどころか行く度に(特に台風一過の後は)ボロボロになっている。

黄色いビニールだけがかろうじて残っている看板、
今にも朽ち果てかねないドア、
店内に入れば年季が入って変色した壁紙、
薄暗い店内に流れる、これまた年季の入ったソニー製ラジオから流れるTBSラジオ。
かつては成蹊大の学生たちの胃袋を満たす勢いがあったのであろう最盛期の雰囲気を残しながらも、 現在(2010年代)は来るべき時を待って細々と営業を続けているかのような、
若干の侘しさを漂わせていた。

栄枯盛衰、ノスタルジック
30年間のすべてが凝縮されたような、そんな雰囲気を醸し出していた。



いざ、店内へ

入店するといかにも頑固オヤジ!といった風貌のオヤジさんが、
「はい、らっしゃい!」と迎えてくれる。見た目はおじいちゃんだが覇気がある。

空いている席に着席し、オヤジさんから声がかかるまで待つ。
飲食店であるにも関わらず、この店では客から注文することは許されないのだ。
万が一頼んでしまった時は「ちょっと待ってね!」
とオヤジさんから言われてしまうことになる。
こうなると最後、そのお客は自ら「私は生郎初心者です」と申告したようなもので、
周りのお客からマイナスのレッテルを貼られることになるのだ。

ちなみに生郎は非常に回転率が悪いことで有名で、
オヤジさんの言う「ちょっと待って」というのは、
タイミングが悪ければ1時間近くかかることもあった。
この店は人間としての器の大きさも試されていたのかもしれない。

やがてオヤジさんがラーメンを作り終えると、待っているお客に声がかかる

「なんにしようかなぁ?」

この声がかかるとお客はそれぞれの食べたいラーメンのサイズを申告する。
「小ください」
「大で」
といった具合だ。
オヤジさんはお客が来店した順番をメモしているわけでもなく、
着席した席を確認する素振りも見せないのに、
なぜか正しい順番で注文を聞いていく。

注文を聞かれるのは、一度に5,6人程度で、
この時に何も聞かれなかった場合は、次回以降のロットとなる。
残念ながら次のラーメンが提供されるまで20分程度待たなければならない。
カウンター席は15席くらいだったので、
着席タイミングによっては本当に1時間くらいかかることもあったのだ。

一通り注文を聞き終えると、オヤジさんは麺のグラムを図り、中華鍋に投入する。
どう見ても沸騰していない中途半端な湯温であろう中華鍋にである。

麺を鍋に入れ終えると、オヤジさんは遠い目をして目の前の五日市街道を見つめる。
素人目には行き交う車しか見えないのだが、どうもオヤジさんの目にはこれまで歩んできた道のりか、盛者必衰の世の中か何かが見えていたようだ。
熱意や悲哀というよりは、人生の最後の地を見つけたかのような何かを”悟った”目をしていた。

店構えがノスタルジックならば、オヤジさんもノスタルジックであった。

ちなみに生郎の伝説を語っているサイトによっては、
麺揉みについて記載しているところがある。
・茹でる前から麺をひたすらに揉んでいる
・茹でている最中にも次の麺を揉んでいる
・何ならラーメンを作るより麺を揉んでいる時間のほうが長い
と、とにかく麺を揉みまくっていた時代があったようなのだが、私が訪問していた時には、この麺揉みを拝見することはなかった。

代わりに麺を茹でるときの左右の足のステップが異常に記憶に残っている。
左手を腰にあて、右手で菜箸を持ち、
右足、左足、と重心を揺らしながら、体全体を使って麺をほぐすのだ。
異常に記憶に残るステップ。
真正面から見ていたら確実にMPを削られそうなその動きで、中華鍋の麺を揺らしていく。
この動き一つとっても素人には出せそうにない途方もない年季が込められていた。
異常に記憶に残るステップで麺をほぐし終わると、
オヤジさんは再び五日市街道へ……いや、その先にある”何か”に視線を戻すのだった。

やがて麺が茹で終わると、それぞれの丼が用意され、麺が盛られていく。
オヤジさんから声がかかると、各々のコールを伝える。
生郎ではコールの頭にラーメンのサイズを伝える、というルールがあった。
「小、野菜マシ、にんにく」
「大、全マシ、少しカラカラ」
ってな具合だ。
ちなみに晩年の生郎では、野菜はマシコールにしてもマシマシコールにしても、大して量は変わらなかった。

Concrete roads
小ラーメン

提供されるラーメンは現在の二郎にあるような豚骨ベースの乳化に近いようなスープではなく、
茶色い醤油ベース寄りのラーメンであった。
美味いか不味いか、と聞かれると困ってしまうが、少なくとも私は美味しいと感じた、と答える。

二郎は二郎という食べ物だ、と言われるように、生郎は生郎という食べ物なのだ。
ラーメンを食べようと思って生郎に行ったのなら「なんじゃこりゃ?」となるが、
生郎という食べ物を経験したいと思って行ったのであれば、きっと楽しめるはずだ。

そう、我々が食べていたのはラーメンではなく、
生郎という唯一無二の食べ物だったのだ。

茹ですぎてくったくたになったモヤシも、
もしかしたら出てきてはいけない何かが沈んでいるんじゃないかと思う茶色いスープも。
我々はただ朽ち果てる運命のお店に赴き、ノスタルジックな思いを抱えながらラーメンを食していたのだ。
むしろノスタルジックそのものを食していたといっても過言ではない。

そんなこんなで生郎を食べ終えたら、丼をカウンターの上に上げて、
布巾で自分のカウンターを拭く。このあたりは今の二郎と同じである。

そして支払い。食券制ではなかった生郎は食べ終わってからの精算で、お釣りが必要な場合はカウンターの上に置いてあるお釣り用のお金を自ら取っていく、という独特のシステムだった。
これは二郎の三田本店における最初期時の受け渡し方法だったらしい。

お店を出るとき、オヤジさんは「ありがとぉ!」と毎度威勢よく声をかけてくれた。

「ラーメンは鶏ガラ、豚ガラ、人柄の3ガラ」
なんて名言を日本ラーメン協会の武内さんが言っていたが、
生郎は間違いなく店主の人柄が濃ゆく出ていたお店であった。

そういえば生郎に頻繁に通っていた時のこと、
一度だけオヤジさんが水を出してくれたことがあった。
生郎はお客から希望しなければ水をもらえなかったので、席についたタイミングでオヤジさんが水の入ったグラスを無言でゴトッと置いてくれた時、驚いて鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてしまった。
カルキ臭100%のその水道水は、オヤジさんが私に伝えてくれた「いつもありがとな」という気持ちだったんじゃないかと、そう感じている。

ありがとう生郎、ありがとうオヤジさん。
フォーエバー生郎、フォーエバーオヤジさん。

以上が、私の中に残る生郎の記憶である。



ちなみに、生郎が無くなった跡地には「成蹊前ラーメン」というお店ができた。
このお店は生郎のオヤジさんの意思を継ぐ店舗のようで、改装された店内には在りし日の生郎のメニューが貼ってあったり、生郎で使われていたラジオや丼があったりする。
おそらく今の店主さんがオヤジさんから譲り受けたものであると思われる。

そして、限定メニューとして提供される「feat.生郎」は、生郎の味を再現したラーメンである。
私も食べたことがあるけれど、醤油ベースのスープに、生郎とそっくりのチャーシューが、生郎で使われていた丼を使って提供される。
その再現率は、最初に食べた時、思わず笑ってしまったくらいだった。
今は提供していないようだけれど、数年に1回でもいいので提供していただけると、生郎信者としては嬉しい限りである。